読む夫婦カウンセリング

夫婦関係の問題に休息はありません。こんな時どうしたらいい?誰にも相談できない夫婦の悩みをちょっとだけ軽くできたら。LifeDesignLaboの読む夫婦カウンセリングです。


片付けできないわたしは妻失格ですか?

「部屋を片付けられない私は、妻として失格でしょうか?」

そんな切実な悩みを伺うことがあります。

もちろん、家事の遂行能力と人間としての価値を結びつけることはできません。片付けができないからといって「失格」などということは決してありませんが、家庭という閉ざされた空間では、時にこのふたつが結びついてしまい、深く心に刺さってしまうことがあります。

「だらしなさ」ではなく「感覚の差」

「部屋が片付いていない」「食器の洗い方がおかしい」

こうした日常的な家事を巡る夫婦間の摩擦は、どちらかが「だらしない」から起きるのではなく、実は「感覚の差」によるところが大きいのではないでしょうか。

「散らかっている」と感じる側は視覚的なノイズに敏感で、それがストレスにもなります。一方で「気にならない」側には、散らかった様子がただの風景(背景)に見えているのかもしれません。見え方が違うなら、捉え方も違うのは当然のことで、気がつく側にとっては当たり前の違和感と煩わしさも、気がつかない側にとってはそもそも存在しない問題なのです。

評価する側、される側に回らない

本来、片付けは家族みんなで取り組むべき問題です。ところが、どちらか一方が「自分の感覚」ばかりを正解として押しつけてしまうと、いつの間にか一方が「評価する側」、もう一方が「評価される側」へと分かれてしまいます。

対等な関係であるはずの夫婦の間に、一度こうした階層が入り込んでしまうと、二人の関係は途端に険しさを持ち始めます。安らげるはずの家庭が、常にチェックされ、採点される「心休まらない空間」へと変質してしまうからです。

 

言葉のトゲの正体

家事への取り組み方は、個人の能力や存在価値を証明するものではありません。しかし、片付かないことに強いストレスを感じている夫側の視点に立つと、また別の景色が見えてきます。

何度言っても整わない部屋は、彼にとって単なる家事の問題ではなく、「自分の要望が無視されている」「大切に扱われていない」という拒絶のメッセージに見えてしまうのかもしれません。もしそうであるならば、彼が攻撃しているのは「部屋を片付けないこと」ではないのかもしれません。

「片付けもできないなんて、昼間なにをやっているの?」

「整理もできないのは、人としてどうなの?」

人格を否定するような激しい言葉の背景には、実は彼自身の「無視されている」という傷つきが隠れているのかもしれないと思うのです。

「正しさ」を凶器にしないために

このように見立てていくと、「感情の問題ではなく、現実に生活に不便が生じているんだ」という反論が出てくるかもしれません。

確かに、部屋が片付いていることは心地よいですし、生活環境を整えることはQOL(生活の質)を高める上で非常に重要です。しかし、人格否定とも取れる言葉は相手の心をフリーズさせ、かえって改善へのエネルギーを奪ってしまいます。

たとえそれが「正しいこと」であっても、あるいは「正しいこと」だからこそ、伝え方を誤ると言葉は凶器に変わります

きちんと伝え、話し合い、それでも改善しないのであれば、見直すべきは「仕組み(システムやオペレーション)」であって、パートナーの性格や人格ではないはずです。

評価ではなく対話を

家事に子育て、そして仕事。子育て世代の家庭運営は、夫婦が共に限界まで負担を背負う、過酷な共同プロジェクトといえます。だからこそ、今必要なのは夫婦間での評価や批評ではなく、同じ方向を向いて歩く「仲間」としての対話ではないでしょうか。

ここで大切なのは、相手の言葉や評価に自分の価値を委ねるのをやめること。そして、互いの努力や献身を認め合う土台を作ること。その土台があって初めて、安全に対話を重ねることができます。

ふたりの「ちょうどいい心地よさ」を目指すために、自己肯定感を削り合う「評価」を捨て、どうすれば共に歩めるかを柔軟に語り合える。そんな関係性こそが、散らかった部屋よりも先に整えるべき「夫婦の土台」なのだと私は思います。

 

 

 


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